Fujisawa Net Museum



中津(なかつ)宮脇(みやわき)

中津宮脇
中津(なかつ)宮脇(みやわき)

解説かいせつ

中津宮なかつみや拝殿はいでんを正面しょうめんにして、左ひだりに奥津おくつ宮みやへと進すすむ参道さんどうにも多おおくの奉納ほうのう石造せきぞう物ぶつがあります。

灯籠

灯籠とうろう一対いっつい

文政ぶんせい10年ねん(1827)に奉納ほうのうされました。

灯籠


古帳庵句碑

古こ帳ちょう庵あん句碑くひ

江戸えど小網町こあみちょう(現げん中央区日本橋小網町ちゅうおうくにほんばしこあみちょう)の古こ帳ちょう庵あんの鈴木すずき金兵きんべ衛夫えふ妻さいが日本全国にっぽんぜんこくの霊場れいじょうに巡礼じゅんれいしたことを記念きねんに、天保てんぽう 12 年ねん( 1841 )に建たてたもの。夫おっと「いざここに とまりてきかん ほととぎす」、妻つま「ふた親おやに みせたしかつを 生いきてゐる」とある。金きん兵衛べえは、埼玉県越生町黒岩さいたまけんおごせまちくろいわに生うまれ小網町こあみちょうで古紙回収こしかいしゅう業ぎょうを営いとなみましたが、 51 歳さいの時ときから全国ぜんこくを巡めぐった後のち、各地かくちに句碑くひや巡拝じゅんぱい碑ひを建たてています。江えの島しまのほか、埼玉さいたまは越生町おごせまちの黒岩くろいわ五大ごだい尊堂そんどうなど8基き、千葉ちばでは佐倉市内さくらしないの成田街道なりたかいどう筋すじと銚子市ちょうしし円福寺えんぷくじ、東京とうきょうは王子稲荷神社おうじいなりじんじゃ、香川かがわでは金毘羅宮こんぴらぐうに確認かくにんされています。

灯籠

灯籠とうろう

寛保かんぽう3年ねん(1743)に奉納ほうのうされたものです。

間宮霞軒句碑

間宮まみや霞か軒けん句碑くひ

霞か軒けんは岩本院いわもといんの出身しゅっしんで永野ながの泉山せんざんの門下もんかです。江島神社えのしまじんじゃ奉納ほうのう句会くかいを主催しゅさいするなど江えの島しま俳壇はいだんの隆盛りゅうせいに貢献こうけんし、初代しょだいの江えの島しま郵便局ゆうびんきょく長ちょうも務つとめました。この句碑くひは、昭和しょうわ 33 年ねん( 1958 )、 81 歳さいの時ときに日本画家にほんがかでもある飯田いいだ九一くいちや大磯おおいそ鴫立庵しぎたつあんの 18 世せい鈴木すずき芳ほうじょ如、江島神社えのしまじんじゃ宮司ぐうじ相原あいはら直なお八郎はちろうら俳人はいじん有志ゆうしが建たてました。筆跡ひっせきは自筆じひつで「さし潮しおの 香こうを抱いだく 島しまの霞かすみかな」とあります。

灯籠

灯籠とうろう

元禄げんろく10年じゅうねん(1697)に江戸えどの喜多きた経けい吉太きちた夫ゆうが奉納ほうのうしました。「武運ぶうん長久ちょうきゅう」とあります。

灯籠

灯籠とうろう

寛延かんえい4年ねん(1751)に江戸えどの蔵前くらまえ・両国りょうこくの講中こうじゅうが奉納ほうのうしました。

灯籠一対

灯籠とうろう一対いっつい

文政ぶんせい 10 年ねん(1827)に奉納ほうのうされました。

灯籠一対


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