Fujisawa Net Museum



八坂神社(やさかじんじゃ)

八坂神社
八坂神社やさかじんじゃ

解説かいせつ

江島神社えのしまじんじゃの末社まっしゃで、祭神さいじんは建速須佐之男命たけはやすさのおのみことです。江戸時代えどじだいには天王社てんのうしゃとして祀まつられていましたが、明治めいじ6年ねん(1873)に八坂神社やさかじんじゃと改称かいしょうされました。現在げんざいの社殿しゃでんは平成へいせい 13 年ねん( 2001 )に改築かいちくされたものです。 毎年まいとし 7 月がつ 14 日にちに近ちかい日曜日にちようびに行おこなわれる天王祭てんのうさいの御輿みこし渡御とぎょが有名ゆうめいです。
境内(けいだい)には、秋葉神社あきばじんじゃのほか、宋国そうこく伝来でんらいの碑ひや沼田頼輔ぬまたよりすけ歌碑かひなどがあります。


石狗一対
石狗一対

石いし狗いぬ一いっ対つい

安永あんえい10年ねん(1781)に江戸えど加賀町かがちょう(現げん新宿区しんじゅくく)・芝口しばぐち(現げん港区みなとく)の町衆まちしゅうが奉納ほうのうしたものです。

秋葉社・稲荷社

秋葉社あきばしゃ・稲荷社いなりしゃ

八坂神社やさかじんじゃの隣となりは、秋葉あきば稲荷いなり・与三郎よさぶろう稲荷いなり・漁りょう護ご稲荷いなりなど、島内とうないの小しょう祀しを合祀ごうしした秋葉社あきばしゃ・稲荷社いなりしゃです 。

宋国伝来の碑

宋そう国こく伝来でんらいの碑ひ

源実朝みなもとのさねともが宋そうに遣つかわした鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうの良真りょうしんが持もち帰かえったものと伝つたわり、「大だい日本国にっぽんこく江嶋えしま霊れい迹せき建けん寺じ之の記き」と刻きざまれています。良真りょうしんは、江えノ島しま縁起えんぎ絵巻えまきによれば、実さね朝ともに嘆願たんがんして辺津宮へつみやを建たてたと伝つたえられる僧そうです。外側そとがわは、元禄げんろく 14 年ねん( 1701 )に杉山検校すぎやまけんぎょうの門弟もんていの島岡しまおか検校けんぎょうが寄進きしんした雨あまよけ、左右さゆう壁面へきめんに双龍そうりゅうが浮うき彫ぼりされています。

沼田頼輔歌碑

沼田頼輔ぬまたよりすけ歌碑かひ

沼田ぬまた頼輔よりすけ( 1867~1934 )は、『日本にっぽん紋章学もんしょうがく』 を著あらわし日本学士院賞にっぽんがくしいんしょうを受賞じゅしょうした愛甲郡あいこうぐん宮みやヶ(が)瀬せ生うまれの紋章学もんしょうがく者しゃですが、歴史学れきしがく・考古学こうこがくの分野ぶんやでも活躍かつやくしました。沼田ぬまたが妙音みょうおん弁財天べんざいてんを讃たたえた歌うた「さなからに生いけるが如ごとく見みまつりぬ御おん神かみなからも肌はだゆたかなり」が刻きざまれています。昭和しょうわ 36 年ねん( 1961 )の二に十じゅう八はち回忌かいきに江島神社えのしまじんじゃ宮司ぐうじ相原あいはら直なお八郎はちろう、考古こうこ学者がくしゃの石野いしの瑛あきら(武ぶ相そう学園がくえん)、郷土史きょうどし家かの内田うちだ輝彦てるひこ・鶴田つるた栄太郎えいたろうらが建たてたものです。

菊和会記念碑

菊きく和会わかい記念碑きねんひ

東京とうきょうの楽器がっき商しょうの菊屋きくやのグループが明治めいじ 42 年ねん( 1909 )に奉納ほうのうしたもので、浜千鳥はまちどり模様もようを配はいした袋ふくろに包つつまれた琵琶びわが描えがかれています。


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