E.S.モースと大森貝塚
大森貝塚の発掘調査風景 “Shell Mounds of Omori”の口絵 |
解説
E. S.モース博士は、腕足類の採集と研究を第一の目的として来日しました。 1877 年(明治 10 年) 6 月 17 日(おそらく 18 日零時過ぎ)に、サンフランシスコから横浜に着き、 6 月 19 日、東京へ向かう汽車の中から大森貝塚(JR京浜東北線大森駅と大井町駅の間の線路脇)を発見しました。モース博士は、アメリカ国内での貝塚の発掘調査経験があり、「線路脇の崖に貝殻の堆積があるのを見つけ、貝塚であるとわかった。( 9 月 16 日)」と“Japan Day by Day”(1917,by Edward S. Morse)に記しています。
その後、 7 月から 8 月の間は、江の島で東京大学での教育用海産動物標本や自らの研究資料採集で忙しく、大森貝塚の調査を始めたのは 9 月に入ってからで、 10 月 9 日には、本格的な発掘調査を初めて行いました。また、モース博士は 11 月 5 日、一時帰国しますが、 11 月 19 日から 12 月 1 日にかけて、モース博士の教え子である松浦佐用彦と佐々木忠二郎らによって、発掘調査が行われました。
古くから、貝塚は伝説上の巨人が食べた貝殻を捨てた場所であるなどと言われたりして、先史時代の人びとが残した遺跡であるという認識はありませんでした。この大森貝塚の発掘調査は、日本国内における初めての科学的な調査で、日本における考古学並びに人類学の幕開けともなりました。モース博士の日本における多大な業績の一つです。
この大森貝塚は、東京都品川区大井町 6 丁目 21 番ほかに所在し、 1984 年(昭和 59 年)、品川区教育委員会によって発掘調査が行われ、縄文時代後期と晩期の二時期に形成された二つの貝塚が確認されました。このうち、JR京浜東北線脇にある貝塚が、E.S.モース博士が発掘した貝塚です。1955年(昭和30年)には、国の史跡に指定[ 1986 年(昭和 61 年)追加指定]されています。また、現在、この場所は品川区によって、「大森貝塚遺跡庭園」として整備され、公園内の広場にはE. S.モース博士の胸像があります。
なお、この絵の手前に見えるのが、当時の鉄道の線路です。
[参考文献]
(1) 「発掘への執念:大森貝塚から高松塚まで」 玉利勲 1983 年 新潮社
(2) 「モースその日その日:ある御雇教師と近代日本」 磯野直秀 1987 年 有隣堂
(3)「東京都品川区大森貝塚」 1985 年 品川区教育委員会