サムエル・コッキング
晩年のサムエル・コッキング(1845-1914) |
解説
サムエル・コッキング(Samuel Cocking)は、イギリス領アイルランド生まれの貿易商。オーストラリアに移住したのち、明治元年( 1868 )に横浜へ来日、同 4 年に横浜居留地にコッキング商会を開設する。翌年、宮田リキと結婚し、同 13 年にリキ名義で江の島に土地を購入、住居用別荘(自宅は横浜市神奈川区平沼)のほかに、私用の大規模な植物園を開設する。当時、本格的な植物園はめずらしく、栽培していたランなどについて、植物研究者等に注目されていた。その間、日本国内のコレラ流行に際し、医薬品の輸入販売で財を成すなどした。商会として扱った商品は、他に医療器具・測量器具・写真器材・楽器・洋酒等を輸入し、ハッカ・百合根・美術骨董品等を輸出した。また江の島以外にも湘南海岸一円に土地を購入し、別荘等として販売した。晩年は福祉事業にも力を入れ、江の島の植物園内で孤児院の事業を補助するための慈善園遊会を開いたりした。大正 3 年( 1914 )、平沼の自宅で永眠。中区相沢の共同墓地に葬られる。
人物詳細
コッキングと江の島
若い頃のコッキング肖像
コッキング商会
コッキング商会のカタログ
コッキング植物園温室遺構
遺構全景
コッキング関連資料抄
『横浜成功名誉鑑』より