ハサミやノリがなかった時代も人々は手紙を書いて、連絡を取り合っていました。
昔の人が書いた手紙をよく見ると、私たちがよく目にする手紙とは少し違います。
どんなところが違うのか一緒に調べてみよう!
昔の人が書いた手紙を見てみよう!
足利成氏書状 八月五日
左の写真は戦国時代の武将 足利成氏(~1497)が8月5日にお経を読んでくれたお礼を江の島に出したときの手紙です。
この手紙を見て気づいたことはあるかな?
この手紙のことを一緒に調べてみよう!
なぜ紙の端がちぎれているの?
先ほどの手紙をよく見ると、右端がちぎれてしまっていることがわかります。
これは、古くなったからちぎれてしまったわけではありません。ハサミや封筒がなかった時代の手紙の封の開け方に関係があります。
下の写真のように、封筒がなかった時代、人々は、手紙をクルクル丸めて、丸めた手紙の端っこを使って紙ひもを作り、手紙をしばっていました。
そして、手紙を受け取った人は、封のひもを刀で切って開封していました。
手紙の閉じ方
手紙の開け方
右側にある黒い点と線はなに?
手紙の右側に黒く塗りつぶされたような点と、一本の縦の線に気づくことはできましたか?これは封をしたあとに付ける印の跡です。
今でも「開封していない」ということを示すために、封筒にノリで封した後に「封緘」というハンコを押したり、「〆」マークを書いたりします。昔のひとは、封がほどけないようにするおまじないとして紙ひもで封したあと、下の写真のように墨で線を引いていました。
戦国時代の封し方
現代の封し方
日付の下にあるマークはなに?
みなさんは手紙を書くとき、自分の名前をどこに書いていますか?
横書きの便せんであれば、一番下に日付に続いて書き、縦書きの便せんであれば、敬具の隣の行に日付、その隣の行に名前を書くのが一般的です。そのルールを参考にすると、この手紙から差出人の名前は見当たりません。
ではなぜこの手紙が足利成氏からの手紙だと判明したのでしょう?その答えは日付の下にあるマークが関係しています。
このマークは「花押」といいます。署名者と他者を区別するために平安時代に生み出されました。
そして鎌倉時代以降、武士たちの間で文書のやり取りが増えると、武家様と呼ばれる武士特有の形状や署記方法も生まれました。
平安時代の花押は実名をもとに作られていましたが、鎌倉時代以降は、名前と関係なく父祖や主君の花押を模倣する傾向もあったと言われています。
紙の使い方を調べてみよう!
左の写真の手紙を見てみると、下半分が逆さまになっていることがわかります。
本来、書状は本紙に礼状として白紙1枚 を添えるのが礼儀でした。
しかし鎌倉時代では、これを紙を倹約するため、本紙を上下2つに横長に折って裏を礼紙代りに使っていました。
このような古文書用紙の形状、さらには書状そのものを折紙といいます。折紙は室町幕府の文書、戦国時代の判物、朱印状、贈答品の目録など広く使用されました。
この他にも1枚の紙を折紙から半分に切って使う「切紙」や、1枚の紙を4分の1に切って使う「小切紙」があります。
折紙
切紙
小切紙
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